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優しい君

「兵法について教えて欲しいな」
気軽に言った事があった。
「いいですよ」
君もそう気軽に返してくれた。

  

  

お互いの執務が終わり、夜も深くなったある日、君がわざわざ時間を取ってくれた。
「もし時間があれば丞相府の部屋に来てください。この間の件、お教えしますよ」
と言ってくれたので、何にも優先してそれに向かった。
部屋に行くと君は既に冠を落とし寝着に袖を通していた。
よく師弟や主従同士でやるのだが、同衾しながらの教授を考えていたようだった。
それを見て、自分も装飾品や長袍を落とした。
「忙しいのに、ありがとうね」
「いえ、こちらこそ。本当はもっとこういう機会を取れれば良いのですが・・・」
そう言えば、昔は関羽殿が将を集めてよく勉強会を開いて下さっていましたよね、と呟きながら灯りを寝台の側に寄せていった。自分も遠くの燭台は近くに持ってきた。
いくつかの書簡を持って寝台に上がっていった君を追って、自分も寝台に上がる。
「さて、どちらからいきましょうか・・・」
そう言って書簡を眺めていた君はひとつを選んで渡してきた。
「まずはこれからの方がよいかも知れません。これは元は古い兵法なのですが、近頃新しく解釈が加わったものでして、長安の方から商人達が持ってきた書簡になります」
自分と並ぶ様に座ってきて、こちらに渡した書簡を覗き込んでくるように指で差して様々な説明をしてくれる。
先ほど水でも浴びたのだろうか、髪は湿っておりいつもの桂油の匂いはしないけれど、その代わりに君自身の匂いが感じられて、正直ちょっと気が散る。
「ここまでは、大丈夫ですか?」
説明し終わってから、そう聞いてくれた。
「んーと、ここなんだけど・・・」
「はい。・・・ええ、ここは」
恐らくつまらない質問だと思うんだけど、それにも丁寧に答えてくれた。
「・・・分かりましたか?」
そう言って、こちらを覗き込んできた。いつもよりどこか穏やかな表情に気がそぞろになりながらも、頷いた。
次の書簡をたぐり寄せて、それをこちらにまた渡してきた。その際に何気なく君が髪をかきあげた。普段見えない耳元と首のうなじが覗いて、これまた色々と落ち着かない。
気持ちを書簡に集中しようとして、一所懸命に注視した。説明も一言一句漏らさず聞き取るぞという気迫で聞く事にした。
その様子を見ていた君がそっとこちらの額に手をやってきた。何だろうと思って見ると、こちらの前髪をかき分けてくれたようだ。
「髪が、目にかかっていましたので・・・ごめんなさい、逆に気を散らしてしまったようです」
「ううん。いや、その、ありがとう」
なんだかよく分からないけど、妙に照れながら答えてしまった。

  

  

・・・何だろう、この恐ろしく優しい君は。

 

  

何かを教えてくれる君はいつもこういう風なのだろうか・・・。
そう思うと少し馬謖殿に嫉妬してしまった。いいなあ。俺も文官に転身しようかな・・・。
などと考えているうちに、ひとつわがままを思いついてしまった。聞いてもらえるか分からないが、この優しい雰囲気に紛れて言ってみる事にしてみた。
「・・・その、ひとつお願いがあるんだけど・・・」
「なんでしょうか?」
「少しだけ寒くなってきちゃって・・・、その、そこに、いっていい、かな・・・?」
本当は全然寒くないんだけど、そう言って指したのは君の膝元。
その言葉に一瞬驚いていた君は、すぐに心配そうな顔になった。
「風邪をひくといけません・・・。どうぞ、いらっしゃい」
やった。
広げられた腕の間に滑り込んだ。背中をゆっくり胸に預けると、やはり君の匂いが先ほどよりも強く感じられて、思わずそれに酔いそうになった。
書簡の続きを説明してくれる君の顔が自分の肩にあって、そこから紡がれる声が耳のすぐ側で聞こえた。君が書簡のある箇所を差し示そうとして、一瞬自分達の腕をどこに置くべきか、お互いがちょっと迷ったのち、こちらの腕の上から君が色々と指して解釈をしてくれる姿勢に落ち着いた。
時々、息継ぎの時や、何かを考えている時に漏れる微かな吐息に胸が締め付けられる。
そんな事を思いながら書簡を見ていた俺の額を、また反対の方の手でかき分けてくれた。本人は気付いていないようだが、どうやら教え子の前髪を分けてやるのは癖のようだった。
「・・・気付いてる?」
「え?どこか、間違っていましたか?」
「違う違う。これこれ」
俺の額に当てられた手を指す。
「ああ、ごめんなさい。癖、ですね」
「・・・もしかして、馬謖殿とかにもこうやってるの・・・?」
「まさか。この癖は恐らく、陛下・・・阿斗様を膝にのせて何かを教えていた時のものだと思います。特に陛下の髪は柔らかくて、よく目元を塞いでしまうものですから」
その答えにちょっと安心した。
「あと、それ以外には、殿にもしていましたね」
「え!?劉備殿に?」
「ええ。このように同衾して、今後の展開などをご説明差し上げる際に、時々今日は疲れたから寄りかからせて欲しいと仰る時がありまして・・・。そう言う時はこのように説明をしていましたよ」
「・・・へえ」
さすが、劉備殿はやる事が違うなあ・・・。そこに他意は無かったと思いたいが・・・今となっては確かめる術はない。
「ああ、そう言えば、季常も深酒をしてしまった時に、よく膝に潜り込んできては遠慮なく人のことを枕にしていましたね。そうなると動かすのが大変でした」
その時の事を思い出したのか、静かに苦笑したのが聞こえた。
「もう、皆よいお歳ですのに・・・、まるで子供のようでしたね」
「へえ・・・」
馬良殿も・・・。んー、やっぱり他意は無かったと、思いたい・・・。
「あ、それならさ、逆に俺が膝にのせてあげよっか?大分温まったし、こっち楽だよ?」
「・・・あ、いえ・・・。ありがとうございます。ただ、ちょっとそれは苦手、ですので・・・出来ればこのままで」
意外に声が沈んだ事に驚いた。何か、過去にあったのだろうか・・・。それであれば無理にと言うつもりは無かった。
また違う書簡を持って色々と説明をしてくれた。君の言葉は本当に分かりすく、始めは分からなかった事も最後の方は分かるようになってくるから驚いた。
「これはさ、さっきこういうのがあったじゃない?それと同じことだよね?」
「ええ、まさにその通りです」
こちらの頭を、可愛い子供にするようにそっと撫でてくれた。
「この短い時間で・・・。よく出来ましたね」
耳元で優しく囁いてくれるのも、癖なのだろうか・・・。
「ねえ、これはどういうこと?」
そう聞いて、字が少し掠れている箇所をわざと指し示した。ええと、それはと呟いて、よく見ようと覗き込んできた君の顔にそっと手をあてて口づけをした。
「ちょ、・・・ん」
くぐもった声を聞いてしまうと、ついついその柔らかい唇を吸う事に夢中になってしまう。何度も啄むようにして口づける。
「・・・あ」
息継ぎをしようとしたその隙を逃さず、舌を入れて君のそれを撫でた。身体をそちらに向けて、腰を深くこちらへ引き寄せ、首筋に手を置いた。身をよじるのを許さないように強く抱きしめる。
お互いの舌先を戯れのように何度も絡ませて思う存分に君を堪能してから、そっと口を離した。
「・・・もう、・・・これだから貴方という人は・・・」
「だって、これは君もちょっといけないと思うよ・・・?」
「どうしてです?」
「どうしてって、・・・なんていうか、その、良くないというか・・・」
その言葉に不思議そうな顔をしている君の前髪をそっと撫でつけた。どう説明すればよいのか分からず、思わず溜息が出た。
「もしかして・・・その、退屈、でしたか?」
そうやって心配そうにこちらを覗く君に脱力する。
「違う違う!すっごい分かり易かったし、すっごい良かった。・・・んだけど、なんていうか、他のことも良過ぎたっていうか・・・」
「・・・他のこと?」
正直、説明をすることは諦めた。下手に話して、今度から今日みたいなことをしてくれなくなってもイヤだし。
「ねえ」
「はい」
「・・・ご褒美欲しいって言ったら、怒る?」
「・・・貴方という人は・・・」
「だめ?」
そうして聞いてみると、少しだけ溜息を付いてから、こちらの顎に手を添えて優しく口づけを落としてくれた。
先ほどのものと違うのは、君からくれたものだと言うこと。それだけでも、全然意味が違うのだ。
「もっと、」
「これ以上は、いけません」
「うう・・・、いじわる」
「そう言っても駄目なものは駄目です」
「じゃあ、いいもん」
そうして、君をそっと寝台に押し倒した。

  

   

「自分で貰うから」

  

    

    

    
おわり

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