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笑う寒梅  

笑う寒梅

いつかぼんやり感じた事を思い出した。

 

 

そう。あの佇まいは、寒梅のようだと。

  

 
数日が過ぎた。
ここのところ溜息ばかりついているので、部下にもその溜息癖がうつってしまっていた。
「馬岱殿・・・。理由は知りませんが、その溜息、いい加減止めていただけませんか。・・・はあ」
という具合である。
「うん・・・ごめんね。・・・はあ」
「いえ、構わないんですけどね。・・・はあ」

   

    

そんな状態であるから少し一人になって色々考えてみようと、例の中庭に面している書庫に通っていた。特に何か書簡を手に取る訳でもなく、窓際にあるあの壷の胡床に腰掛けて、彼を夢想しながら自分の気持ちなどを整理していたのだった。
そうしていると、時々目眩のようにあの桂油の匂いが思い出された。抱きしめた時に香ったあの匂いを思い出すだけで意識を平静に保っていられなくなる。腕越しに感じた彼の嗚咽。その後の、唇の感触。顎に手を添えた時の、かすかな息のふるえ。全てが自分にとって甘かった。
そしてふと思うのが、なぜ彼は自分を拒まなかったのだろう、という事だ。
それこそ、劉禅様の時のように怖がらせてしまうのでは無いか、と恐れたのだが、何も抗われなかった事に驚いた。
どうしてなのだろう・・・。
普通に考えれば、あの時は半ば呆然自失としていた訳だから、抵抗する気力すら無かった、というのが無理のない答えだと思う。ただ、正直に考えると、どこか、もう少し踏み込んでも大丈夫だったのだろうか、などと期待してしまう気持ちはどうしても拭えなかった。本当にまずいのであれば、どうかちゃんと抵抗して欲しかった。でなければ、勘違いをしてしまう。
「・・・はあ」
持って行きようの無い気持ちを少しでも減らせればという気持ちからか、ついつい溜息が漏れてしまった。
とりあえず、今日はこのあたりで戻ろと立ち上がって扉の方へ歩いていった。
唐突に、扉が開かれた。
そこには、まさに今自分を悩ませていたその人がいた。
「あ」
思わず間抜けな声を出してしまった。相手もとっさの事で、この状況に素直に驚いていた。そしてすぐに気持ちを取りなおしたのか、普段の表情に戻ってから少しその場所をどいた。自分は出て行こうとしていたので「どうぞお通り下さい」という訳だった。
そのまま出て行く事も考えた。だが、やはり自分の気持ちを中途半端なまま置く訳にはいかなかった。
出て行こうとみせかけて、その扉を閉めた。相手はその様子を無表情に見ていた。
「・・・少しだけ、いい、かな?」
相手は少しだけ考えてから、無言で頷いた。
「その・・・、もう大丈夫・・・だよね。さすがに何日か経ってるもんね。あの時は、俺も、なんていうか、どうしようもなくて・・・」
「・・・」
「その、泣いていたあなたに、あの、ああいうこと・・・」
そこまで言って、しかしどうしても「ごめん」とは言う気にならなかった。その行為自体は、紛れもない自分の気持ちであったから、そう言ってしまうと、それを否定してしまう気がして謝れなかった。
ふと彼の方を見ると、戸惑ったような表情でこちらを見ていた。
嫌悪でもなく、拒絶でもなく、否定でもない。そう感じてしまうのは、自分のわがままなのか。
「・・・どうして、そういう顔を、しちゃうのかな・・・」
自分の言葉の意味がよく分からなかったのか、更に戸惑ったような顔をした。
「頼むから・・・拒絶、してくれないかい・・・?」
そう言いながらも、相手の顎に手を持っていった。ほんの少しだけ引き寄せて、何日か前のように口づけをした。
相手から求めてくることは無いけれど、それでも抵抗しない彼に対して、言いようがない複雑な気持ちがわいてきた。なぜ抵抗しないのか。理不尽なのは分かっていたが、その彼の姿勢に対して苛立ちも正直感じてしまった。
そういう気持ちもあったので、口づけが思わず深くなってしまった。舌を入れて、何度も吸う様に繰り返す。そうしていると、彼がくぐもった声を漏らした。勘弁して欲しいと思った。気持ちが、飛ぶ。もう、戻れない。
抑えが利かなくなった自分は彼を壁に押し付けた。手首を掴んで壁に縫いつけ、もうひとつの手は背中から腰へとまわしていった。片足を彼の太腿の間にねじ込んで完全に自由を奪った。耳朶に口を落として、そのまま首筋へ。それでも飽きなくて胸元まで唇で撫でていった。舌を出して触れると、掴んでいる手首が震えた。
腰のあたりをそっと触ると僅かに身をよじった。空いている方の手はこちらの袖を掴んで来た。相手の反応をもっと見たくて、腰から太腿の方へ手をすべせていく。思わずといったふうに俯く彼の顔を、下から口づけを施すことによって上を向かせた。顔を逸らすのでそれを追うように横顔に口をつけた。何かを思い悩むように眉をひそめた彼はどこまでも美しかった。
撫でていた太腿から袍の中へと手を入れていく。相手が小さく息を詰めた。そのまま、そっと撫でてみると彼が大きくわなないた。ゆっくりと触れて、押さえつけるように軽くこすってみたり、先をひっかくようにしていじると、口を開けた彼が短く息を吐いた。更にかい撫でると小さく声を漏らして顔を仰け反らせた。こちらの袖を掴んでいる手は震え、抑えている手首からは早い脈が感じられた。
「我慢しないで、いいからね・・・」
「・・・ん・・・っ」
「声だって、恥ずかしがらなくて、いいんだよ・・・」
「あ・・・やっ」
「だって、全部が、愛おしいんだもの・・・」
身体中でおののきながら首を大きく振って、彼は大きく息をこぼした。

 

 

全てが終わったあと、床に崩れる様に座って、ぐったりしている諸葛亮殿を胸に抱きしめていた。
子供にそうするように、何度も何度も諸葛亮殿の頭を撫でた。彼は時々小さく咳き込んだりしていた。
「・・・大丈夫?」
「・・・はい」
声が掠れていた。
「・・・その、聞きたかったんだけど・・・」
「・・・」
「どうして、抵抗、しないの?」
「・・・」
俺の胸から顔を上げて、こちらを見てきた。散々泣いた目元がまだうっすらと赤い。
「・・・それが・・・、自分でも理解が出来ないのです・・・。貴方のその優し過ぎるところが、何と言いますか・・・」
「ええ・・・!?それって・・・、もしや特に俺の事が好きでもないのに、こういう事になっちゃったって事!?」
「え?・・・ああ、そうなのでしょうか・・・」
諸葛亮殿らしくない、あまりにも暢気過ぎるその返答に心底驚いてしまった。その両肩を掴んで、つい声を荒げてしまう。
「それって、ダメだよ!あ、いや、その、俺がこういうこと言える立場じゃ、もう無いんだけどさ・・・。でも、そういうのダメだって!」
「え・・・」
「流され易過ぎだから!そういうのは、好きじゃ無い時はちゃんと断らないと!」
「・・・」
「・・・ちょ、聞いてる?」
驚いた顔をした彼は、一瞬時が止まった様にそのままだったが、次の瞬間に声を出して笑い出した。
「あはは」
「え・・・、諸葛亮殿・・・?」
「あ、いえ、申し訳ございません。だって、貴方が本当に真面目な顔で仰るので・・・。目も驚く程真剣で・・・。何と言うか、堪えきれなくなってしまって・・・ごめんなさい。こちらを心配して下さったのに」
謝った後もふふと笑っていた。
確かに何で心配しているこっちが笑われないといけないのかという理不尽な気持ちはあったが、それよりも彼が声を出して笑った事にびっくりした。この人は笑うと、こんなにも華やかになるのか。こんなにも晴れやかに笑う事があるのか。それは、心が奪われるという表現ではとても足りない位、こちらの胸を強引に掴んできた。
「しかし・・・、分からないとは言いましたけれど、でも、どこかで分かっているような気もするのです」
「・・・どういうこと?」
「さあ・・・、それを言葉にするには、まだ私の勇気が、足りない気がします」
「・・・」
「それまで、待ってくれたりは、しますか・・・?」
「・・・もしかして、少しは、その、期待しても、いいのかい・・・?」
そう聞いた自分を見る、その顔もまた、ひどくこちらの気持ちを揺さぶってくる。
どこまで、美しくなれるんだろう。この人は。

 

 

それはまさに笑ってほころぶ、芳しき寒梅。

  

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