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笑う寒梅  

戸惑う指先

「見て見て、諸葛亮殿ー!!」

中に誰かいるかどうかも確認せずに思わず執務室の扉を開けて遠慮無く中に入っていった。
幸い中には諸葛亮殿しかいなかった。
いきなりの事に、少し驚いた様子の彼が愛おしい。だってこんな表情、滅多に見られるもんじゃないからね。
「な、なんでしょうか」
「これこれ!面白いもの見つけちゃった!」
言ってから「執務に関係ない事は後にして下さい」と冷たくあしらわれるかもと思った。しまった。それ、考えてなかった。
しかし、諸葛亮殿は意外と素直に俺が見せたものを覗いてきた。それは、ある書簡。
「これは・・・」
その書簡にあるのは、ある人の似顔絵だった。署名から張飛殿のものだと思われる。そして誰の顔かと言うと、それは紛れも無い劉備殿であった。しかしながら、その表情は険しい。険しいのだが、同時に舌を出していたりして随分愛嬌のある顔でもあった。恐らく、劉備殿から学問を教わっている際に、退屈になった張飛殿がいたずらで描いた似顔絵に違いなかった。そうでなければ、この面白い似顔絵の説明が付かない。意外と上手に描かれているところがまた笑いを誘った。
「ね!珍しいよね!こんなのが書簡に紛れていたなんて!」
「・・・ふふ、本当ですね。ああ・・・」
思わずといったふうにその書簡に手を添えて、柔らかく微笑んだ。
それを見て息を飲む程に胸を打たれてしまった。そして、その自分自身の反応にも驚いてしまった。
これほどまでに美しく微笑むとは全く想像すらしていなかった。そしてその表情にここまで自分が揺さぶられるとも思っていなかった。前から想いはあったのだが、何と言うか、まさかここまでとは正直自分でも思っていなかったのだ。
「張飛殿ですね・・・。それにしても、よくこんな書簡が残っていましたね」
「いやあ、俺もびっくりしちゃったよー。さっき書簡を漁ってたら古いのに紛れてて」
「さっき?」
「うん。さっき」
ここまで言って、しまったと思わず固まった。これは先ほど諸葛亮殿と劉禅様のやりとりを盗み見をしてしまった書庫で見つけたものだ。あの劉備殿の兵法書の側に埋もれていたものをついさっき見つけたのだった。
「これを、どこで・・・?」
僅かに諸葛亮殿の表情が強ばったのが分かった。それに気付かなかった振りをして、あえて陽気に言ってみせた。
「と、思うでしょー?どこだと思う?」
どうしよう。どうしよう。「古いのに紛れてて」ってつい言っちゃったから新しい書庫とも言えないし、ああ、どうしよう・・・。
諸葛亮殿の眉がひそめられる。
「・・・中庭に面している、あの書庫・・・」
「いやいや!そこじゃない!ホントそこじゃない!」
「・・・」
不自然に強く否定してしまった俺を訝る余裕も無いのか、思わずといった様子で諸葛亮殿の眉が緩められた。
「では・・・、宮中に近い方の、あの書庫でしょうか・・・?」
ああ、もうそれでいいや!
「そう!さっすが諸葛亮殿だねえ!そこにあったんだよー」
「・・・」
「ホント、びっくりだよねえ・・・。ねえ?」
「・・・どちらかと言いますと、私は貴方がわざわざあの書庫に行かれていた事の方に驚いているのですが・・・」
「え?・・・なんで?」
「・・・あそこは調練場から最も離れていますし、保管されている書簡は儀礼祭祀や宮中の奥の名簿などが主ですから・・・。執金吾さえ用がなければ立ち入らない場所ですので・・・」
ええっ・・・そうなの?宮中の方なんて正直あんまり行った事ないから知らないよー・・・。だって行きづらい雰囲気だし・・・。
「いや、俺もあんまり行かないのよ?でもたまにはあっちの書簡も見てみたいなあって思ってさあ」
「・・・秘書監がいませんでしたか?」
「いやあ、いなかったと思うけどなあ・・・。厠にでも行っていたんじゃないかなあ。偶然」
「・・・偶然?」
「そう。偶然」
「そうですか・・・。もう一人秘書監を増やした方がいいかも知れませんね・・・」
「え・・・。あそこ勝手に入っちゃダメだったの・・・?」
「ええ・・・。あ、いえ、勿論馬岱殿が入っても特に問題は無いのですが、宮中についての書簡が多く保管されていますので、万が一敵の密偵などが覗いた場合、陛下の動きも分かってしまい致命的でありますから・・・」
「ああ、そっか。そうだよね・・・」
恐らくその秘書監はちゃんと職務を全うしていたと思うのだけど・・・ごめん、と心中で思わず謝った。
「ところで・・・馬岱殿、本日の練兵は済んだのですか?」
「あ、あー、あはは?」
「まさか・・・これを私に見せるためだけに丞相府まで来たのですか・・・?」
「あ、いやあ、今休憩中だし、散歩がてらこれを返しに来るついでに諸葛亮殿にも見せようと思って」
「・・・返すと言っても、ここは丞相府であって宮中ではありませんが・・・」
「あ・・・。いや、宮中への途中じゃない?ココって!」
「まあ、そうですけれど・・・。でも、それでしたら本当にそれだけの為にここに?」
「・・・そのう、えっと、何となく、ここのところ、諸葛亮殿、疲れてるような気がしたし、元気も無さそうだったからさ、つい・・・」
「・・・」
何だか沈黙が痛い。怒っているんだろうなあっと思って恐る恐る顔を見てみると、またびっくりした。いや、ホント。びっくりした。
「ふふ。馬岱殿らしいですね・・・。お気遣い感謝致します」
止めてくれえ・・・。そうやって真っ正面から微笑むのだけは・・・。きっつい。なんか胸がきっつい。
思わず抱きしめたくなってしまう気持ちがわき上がってきたが、先ほどの書庫での涙が思い出されて、少しだけ上がりかけた手をそっと戻した。
「いやいやあ!こういうのも、俺の仕事みたいなモンだからさあ!」
「・・・感謝しております。本当に・・・」
ダメだ。もう出よう。この部屋。出よう。でないと、自分を抑えられる気がしなかった。
「では!諸葛亮殿に怒らちゃう前に、練兵に戻りまーす!」
「貴方の軍は統制がとれていますから特に心配は致しませんが、確かに、休憩は程々に・・・。他の軍に示しがつかなくなりますので・・・」
「りょーかーい!」
そうおどけてから執務室を後にした。

 

 

廊下を足早に歩きながら、頭の中に様々な感情が入り乱れており、到底整理出来る気がしなかった。
諸葛亮殿のあの笑顔。それを見た時の自分の感情。そして、先ほど書庫で見てしまった涙と強ばった表情。今日一日で沢山のものを見てしまった気がするし、知ってしまった気がする。
本当にどれもこれも、どのように扱えば良いのか全く分からない。
ただ、ただ・・・。
諸葛亮殿には笑っていて欲しい。ああいうふうに。本当に、本当に・・・美しかった。
これだけは確固たる思いであった。恐らく、これだけは今後何があっても絶対に揺らがないと思った。
だから、これからもどうにか、諸葛亮殿を笑わせられないだろうか・・・。

 

 

・・・うーん、それにしても、さっきの諸葛亮殿の詰問は怖かったなあ・・・。なんで簡単に騙されてくれないんだろう・・・。まあ、そりゃあ自国の丞相が簡単に騙されるような人だったら困るけどさあ。ホントひやひやした。あーもーひやひやしちゃったもんねー。でも何とかごまかせて良かった・・・。

さて、練兵に戻らないと。

 

 

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