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笑う寒梅  

その青を仰ぎて

君がよく、眠ることができるように。

  

   

「・・・そもそも、どうして私、なのでしょうか・・・?」
不思議そうに聞いてくる君の頭を撫でながら、以前会った時に一目惚れだったこと、いつも目で追ってしまっていたこと、笑った顔に心を奪われたことなどを、低く静かな声で呟いた。疑問形の話はしない。話を聞きながら頭を使わないで欲しいから。もし、眠たくなったらいつでもそのまま眠ってもらえるように。
黙って聞いていた君は、少しずつ眠そうな目になっていった。
それにそっと手を当てて、目蓋を閉じてあげる。しばらくそうしたあとに手を離したら、どうやらそのまま眠りについたようだった。微かな寝息が聞こえる。
「・・・ふふ。子供っぽい寝顔を期待しちゃうけど、やっぱりダメかー・・・。心労が寝顔にまで出ちゃってる・・・」
寝ていてまで眉をひそめているこの人の様子を見て、起こさないように人差し指で眉間のしわを伸ばしてあげた。
いつか、この人が無邪気な顔で眠れる日がくるのだろうか・・・。
どうか、いつも笑っていて欲しい。この人の側にいられるのならば、それ以上は何も望まなかった。この人の過去も、自分が知らない何かも、もはや全てどうでも良かった。自分の目の前にいるこの人が、この瞬間の全てだった。
その寝息もどこか遠慮がちで、静かな、控えめで美しい人。
この先、どんな事があってもこの人を守る。この人が望む事なら、どんな事でもしてみせる。決して、悲しませたり心配させたりはしない。勿論、俺だけ先に死んで、この人を置いていく事も絶対にしない。絶対に。
眠るその人の額に軽く口づけてから、自分も横になった。

 

 

北伐がそろそろ近づいてきた。
出師表も出されたし、将達も練兵に気合いが入っていた。
自軍の完成度を見る為に、様々な進軍方法や突撃、迂回行動などを何度も繰り返し実行させた。後半はいくつか部隊がばらついた。全体の動きは悪くないのだが、持久力をこれからも補強していく必要がありそうだった。
一旦休憩の令を出した。それに伴いそれぞれ木陰や岩場に散っていった。
自分も適当な木陰を見つけてそこに座る。そこに部下が寄ってきた。
「部隊、分けますか?」
「んー、このままでいいでしょ。分け過ぎると余計ばらつくし、突撃力も無くなるから」
「分かりました」
相手が水筒を差し出してきたので、ありがたくもらう。
「・・・馬岱殿」
「ん?」
「最近、変わりましたよね」
「ええ・・・!?どこが?」
「いえ、なんと言いますか・・・、前より落ち着いているっていうか、浮ついてないっていうか・・・」
「上官に対して、結構言うねえ、君も」
「・・・もしかして、恋、実ったんですか?」
「あ」
そう言えば、随分前に「好きな人がいるんだ」と打ち明けていたことがあった。勿論相手の事は伏せているが、それはもう美人で、素敵な人で、落ち着いていて、しっかり者の、やっぱり美人だと熱弁した覚えがある。
「んー、ほぼ実ったというか・・・」
「ほぼ?」
「うん。多分大丈夫だとは思うんだけど、まだ正式に相手からは言ってもらってないというか・・・」
「・・・それ、大丈夫ですか・・・?実は遊ばれてるだけ、とか無いですよね?美人は特に要注意ですよ」
「ええ!?・・・いやなこと言うなあ。だ、大丈夫だよ!・・・多分」
「でも、それならどうして、まだ何も言ってくれないんですか?」
「いやあ、一応理由としては、まだ恥ずかしいから、みたいな・・・」
「・・・うーん。そのありきたりな理由だと見極めが難しいですが・・・、もしそれが本当であれば、逆にこちらから促すのも手だと思いますよ」
「・・・そうなのかな」
「ええ。恥ずかしくて言いづらいのであれば、こっちが促して相手にきっかけを与えてあげるのも男の優しさかと」
「・・・君、言うねえ。・・・そういう君、お嫁さんは?」
「いません。一人に絞りたくないんです」
「・・・そういう君の言うこと、信用していいのかなあ・・・」

 

 

それから何度か会う事はあったのだが、促す機会も持てずしばらくが過ぎてしまった。
相手から言ってこないのに自分から聞いて、万が一話を逸らされたりした場合、正直傷付いてしまうかも・・・と思って尻込みしていたのも事実である。
そんな中、北伐に向けての模擬戦が組まれている為に、それに合わせての早朝調練が続く毎日だった。その日も調練を済ました後、様々な報告や武具の調達などに関して相談する為に丞相府に来ていた。まず尚書台に行ってそこの文官に「武具を補強して欲しいんだけど・・・」と切り出すと「では尚書僕射の者を呼んで参りますので、その者にお話下さい」と言われた。その後来た尚書僕射には「武具の補強は私達ではないんですよね・・・。申し訳ないのですが、尚書の人間にお願い出来ますか?」
まったくもう、と思いつつ尚書の文官にその旨を告げた。
「・・・受理しますが、大司農府に確認が必要となりますので、明日までお待ちいただけますか」
なんでもいいから早くお願いね、と言って尚書台から下がってきた。
その途中に陳震殿と出くわした。
「これは馬岱殿。近頃は早朝調練、お疲れさまでございます」
「そんな。陳震殿も毎日早いよねえ」
「早起きが唯一の取り柄でございますから」
そう言って陳震殿はこちらを見てきた。
「馬岱殿、もし宜しければお願いしたいのですが・・・」
「なに?」
「また諸葛亮殿が昨晩、丞相府の部屋で休まれているので、一応顔を出してもらってきて宜しいですか?」
「ああ、うん、いいよ」

 

 

扉を軽く叩いたら、中から掠れた声でいらえがあった。
「おはよう」
そう言って扉を開くと、まさに今起きたばかりの諸葛亮殿がいた。
「・・・馬岱殿」
「陳震殿から一応見てきて欲しいって言われてさ」
「・・・そうですか。陳震も心配性ですね・・・。これでも寝過ごしたことは無かったと思うのですが・・・」
「思いやりじゃない?陳震殿の。最悪、寝過ごしても、誰かが起こしに行きますよっていう」
「・・・そういうものでしょうか」
「そういうものだよ」
そう言って一緒に持ってきた瓶を机に置いた。それには水が汲んである。
「これで顔洗っちゃいなよ」
「ああ・・・、ありがとうございます」
「良ければ、俺が髪を結うよ?」
「・・・お願い出来ますか?」
手に桂油を塗って、それを髪にならしてから櫛で梳いた。そういえば、いつかもそうした事があって、今思えばあれが全てのきっかけになったのだなあと考えながら髪を纏めていった。
爽やかで少しだけ甘い桂油の匂い。これは本当にこの人によく似合った。
手早く髪を結い、冠をのせて髪挿しで固定する。
「うん。出来た」
そう言って、余っている水で手を洗った。
「ありがとうございました」
「いえいえ。今日も忙しいの?」
「はい。近頃は止む終えません」
「朝餉は取らない?」
「そうですね。このまま朝議に出ます」
「今夜も遅くなりそう?」
「はい」
「俺の事好き?」
「・・・」
やっぱダメか・・・。若あたりだったら絶対ひっかかりそうな問答の導き方だと思ったんだけど、一国の丞相相手じゃ、やっぱりダメか。
仕方がない。やはり地道にゆっくり待つとしよう。その方が俺自身にも精神的負担が少ないから。
そんな事を思っていると、ふと諸葛亮殿が呟きだした。
「・・・はじめは、単に明るい人であるとか、羌族の血が入った独特な目元が不思議だとか、馬超殿のご親族であるとか、そういう風に思っていました」
「・・・」
「貴方が私に対して、色々と言ってくるようになった時でも、これはこの人特有の軽口なのだとそこまで気に留めていませんでした」
「・・・」
「ただ」
ふと、こちらを見つめてきた。
「いつからか、気付いたのです。貴方は、いつも私が疲れている時や、元気がない時に限って、その軽口を言いにくるのだと」
「・・・」
「これは、もしかしたら本当にこの人は、真面目にそういう事を言っているのではないかと、少しだけ思ったりもしました。そんな中に、一度貴方が、ふとしたきっかけで普段見せないような表情を見せた事がありました」
いつのことを言っているのだろう。自分には思い出せない場面だった。
「その時に、この人は、恐らく朗らかなだけではないのだろうか、その朗らかさは時には気遣いでもあるのではないか、そう思ったのです」
「そんなこと、あったっけ」
そう聞くと、静かに頷いてきた。
「その後、ちょうど今朝のように、貴方が髪を結ってくれた時、私が泣き出してしまって、その時に慰めてくれましたよね。・・・ああ、なんて、優しい人なのだろうと、・・・思いました」
「・・・」
その美しい眼で、こちらをまっすぐに見つめてきた。
「私も、貴方の事が好きです。ごめんなさい。言うのが、遅くなってしまって」
「・・・」
「・・・そろそろ、朝議に出ます」
自分で言った言葉に照れたのか、そう素っ気なく言ってからそのまま部屋を素早く出ていってしまった。
望んでいた言葉だった。望んでいた言葉だし、いつか聞けるかもと思っていた。要は聞く事を覚悟していた言葉なのだが、実際に直接近くで言われると、どう表現すれば良いのか分からない、猛烈な震えというか目眩というか、喜びがわき上がってきた。
「孔明!」
思わず、勝手に彼の字を呼び捨てにして、その後を追ってしまった。
勢いよく開けられた扉に驚いて、彼はこちらを振り返った。
走っていって、そのまま彼を思いきり抱きしめてしまった。
「・・・な、何を!?」
「ああ、ありがとう。ありがとう・・・」
感極まってしまって、つい軽く口づけをしたら、速攻顔をはたかれた。
「い、痛い・・・」
「あ、あたりまえでしょう・・・!誰かに、誰かに見られたらどうするつもりです!」
「まだ朝が早いから、大丈夫だよ・・・」
「そういう問題ではありません!」
おっかないなあ、と思いながら恐る恐る顔を見てみると、驚く程に赤くなっていた。
その照れた顔を見て、ついつい笑ってしまった。あまりにも、なんというか、その表情が堪らなくて笑いが止まらなかった。なんて、なんて可愛らしいのだろうか。
「そ、そこまで笑わないで下さい・・・」
ここまで笑い倒したのは久しぶりで、ついついそのまま廊下に座り込んでしまった。
「もう・・・。私はこのまま朝議に行きますよ」
「・・・うん。いってらっしゃい」
そう言って送り出そうとした時に、しゃがんだ位置から廊下の外に朝の空が見えた。
「あ!」
「え?」
「晴れてる!」
「・・・え?」
俺の言葉につられて、一度行きかけた足をこちらに戻してきた。立ったままでは見えないので、彼もしゃがんで下から空を覗いた。
「・・・ああ、本当ですね・・・。晴れなんて、珍しい」
「空が、久々に青いねえ。・・・さっきまでは曇りだったのに」
少しの間、珍しく成都に訪れた青空を二人で見ていた。
「ねえ」
「なんでしょうか」
「今日、昼の空いた時間に、少し遠乗りでも行かないかい?」
「・・・いいですね。きっと、気持ちがいいでしょう・・・」
「だよね!でさ、馬なんだけど」
「一人一頭の馬でお願いしますね」
「・・・はーい・・・」
出鼻をくじかれて、若干しょんぼりしてしまったのだが、そんな俺をそっと見つめて、
「でも・・・、ありがとう」
と笑ってくれたその顔を見たら、やっぱり君の事が好きだという気持ちでいっぱいになってしまって、他のことはどうでも良くなってしまった。

 

 

どうか、末永く、この時間が続きますように。

どうか、少しでも早く、君が安らかな顔で眠れますように。
どうか、いつも君が笑っている日がきますように。

 

 

そのためになら、俺は、何だってするから。
だから、どうか、安心してね。

   

   

   

  
おわり



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