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そのような、瞬間

そなたが俯きながら私にそうやって色々と語る時、一体のその心の奥には何が映っているのだろうか。
そなたは私を見ているか。それとも私の後ろの人間たちを見ているか。
いや、愚問であった。当然、後者に違いない。いや、後者でしかあり得ない。
かといって特段失望するつもりもないし、ただ純粋にそうだろうなと事実を認識するだけだ。

  

    

「陛下」

   

   

そう言って面を上げるそなたの双眸はいつ見ても、嫌味なほどに澄んでいるのだな。
その目を見ていると、時々、理由も無くそなたの横っ面を引っ叩きたくなる瞬間がある。

  

   

何故であろうな。嫉妬であろうか。
誰に対する。
父をそなたに取られたという嫉妬か。それとも、そなたを父に取られたという嫉妬なのか。

   

  

何の躊躇も無くそなたの顔面を張り倒したとしても、そなたは何も咎めぬのであろう。
それは私が君主であるからでもなく、父の息子であるからでもない。
恐らく、そなたは知っているのだ。私の、心の奥底を。
知って、同情しながら、踏みにじっているのだ。

  

   

だからだろうか。
時々そなたに抱く、小さく攻撃的なこの感情は。

  

  

「陛下」   

  

いつも以上にぼんやりしている自分を訝ってか、少しだけこちらに身体を寄せて覗き込んできた。
そちらを見遣って、少しだけ眉をひそめてみせた。

  

  

「陛下」   

  

具合が悪いのかと心配したそなたがこちらに寄ってきた。
それの襟を無造作に掴んで思い切りこちらへ引きずり倒した。
咄嗟に呑んだ息ごと、その口を強く吸う。
驚いて身を引こうとするが襟を掴む力を緩めず、肘掛についている手も強く払った。
支えを失い身体ごと落ちてくるそなたを胡床の上で抱き込みながら、更に吸った。
思っていた以上に舌がなめらかで柔らかくて儚かったことに胸が熱くなった。
飽きるまでその肌触りを楽しむように執拗に追った。
触れ合っているところからそなたのくぐもった声が聞こえてきて、それはそれで胸が熱くなった。
吸う息ごと覆いつくして、息苦しさと忠誠心が拮抗して思うように抵抗出来ないそなたの身じろぎを身体全体で感じた。
いい加減自分の息も切れてきたので、ふと口を放した。
ひどい息苦しさと、大きな戸惑いと、僅かな恐れでそなたの目蓋と手は震えていた。
こんな華奢でか弱い雰囲気のそなたを見たのは初めてだったので、とても新鮮である意味愛おしかった。

  

   

何故と聞くことも出来ぬのか、固まっているそなたをそっと放した。
よろめきながら後ろに下がり、それでも拱手の型を取ったそなたを見て笑えた。
恐らく、それ以外にどうすれば良いか思いつかなかったのであろう。
小さく手を振って、そのまま下がらせた。
    

  

常に大丈夫風情である相父が、こうも少女のような顔を見せることがあるのかと、面白いような、ざわめくようなそんな気持ちが渦巻いた。

 

  

私は一体誰に嫉妬してるのだ。

   

  

そなたにか。
父にか。

  

  

幕舎の中から見える陽光はまた、白々しい程に明るかった。
眠くなってきた。
欠伸を噛み殺す。

 

  

早く、一日が終わらぬだろうか。
そして、早く自分の一生が終わらぬだろうか。

 

  

そうぼんやり思ってから、また幕舎の外を目的も無く眺め続けた。

  

    

  

自分が動揺していることがはっきりと分かった。

これが動揺というものなのかと、再認識したくなるほど動揺していた。

  

  

簡単な報告をするつもりで立ち入りかけた幕舎で思わぬ光景を目にしてしまった。
自分が立ち入りかけた事は二人とも気付いていなかったと思う。そう思いたい。

 

 

陛下が孔明殿の自由を奪うように抱きこんで荒々しく口付けをしていた。
前後の成り行きは不明だが、恐らく不意であったのではないか。
弱々しくもがく孔明殿が恐ろしく哀れに見えた。普段取り乱す事が無いからか、尚更異質に見えてしまった気がする。

 

 

立ち入りかけて退こうとした趙雲を訝る歩哨に、今は内密なお話の最中であられるゆえ人払いを頼むと、口から出まかせを咄嗟に告げた。
歩哨は納得したらしく、拱手の礼を取った。

 

 

陛下の幕舎から離れた所まできて振り返った。
まだ孔明殿は出てこない。
思わず手が震えてしまった。動揺のあまり震えが止まらない。
孔明殿が出てこない幕舎を眺めながら一時一時が妙に長く感じた。
まだ出てこない。どうする。こうなったら幕舎の外で大きな声でも出してから再度入ろうか。
しかし、そこで見てしまった光景があれ以上に。いや。止めよう。
心の中で問答をしながら、しかしいつの間にか足は再度幕舎の方へ向かっていた。
考えがまとまらない間に、あっさりと孔明殿は幕舎から出てきた。
しかしというか当然というか、その顔色はいつも以上に白く僅かに足元もおぼつかないように見えた。
近付いて声を掛ける。
「趙雲殿」
「顔色が、その、優れませぬが」
先ほどの経緯を見られているとは知らずにいる孔明殿は、健気に笑って見せた。
「そうでしょうか。ああ・・・珍しく晴れているので、暑さにあてられたのでしょう」
そう言って襟元を少しくつろげて見せた。
思わず彼の首筋を検分してしまった自分に嫌気が差す。
「少し、お休みくだされ。孔明殿の幕舎までお付き致しますゆえ」
「ああ、恐いですね。これでは無理やりにでも幕舎まで連れていかれそうです」
ええ、そのつもりです、と思わず心の中で言いながら、満面の笑みで孔明の手首を掴んでそのまま半ば強引に幕舎まで連れて行った。
軽口をついていた彼も幕舎に入ったとたん、表情を無くした。兵たちの視線を気にしなくて済むので、思わず気持ちが緩んだのだろう。
声を掛けようか迷った。
このまま何も無かった様に去ろうか。
その方が親切に決まっているのだが、このまま何も無かったことにして良いのだろうか。孔明殿が、では無い。己が。
「その。見て、しまったのです」
気付いた頃には口から出ていた。
無表情で聞いていた孔明殿が、その言葉を反芻して意味を理解したのか、ゆっくりと振り向いてきた。
その表情は純粋に驚きで占められていた。
「なにを」
見たというのか。そう言おうとするその口をいきなり塞いだ。
驚きや戸惑いではなく、しっかりと恐怖に駆られてもがき逃げようとする彼を強く抱きしめた。力の限り抵抗してきた。それを片腕だけで封じ込めて、もう片手で顎を押さえて、何も自分から逃げられないようにした。
何かを叫ぼうとするその舌を強く吸い上げた。
大人の男のものとも思えない、小さくて絹のように柔らかいその舌触りに思わず背中を舐め上げられるような快感を感じた。
顎を掴む指に思わず力が入る。口をもっと大きく開けさせて、逃げる舌を追うのに夢中になる。
よじる身体は手を彼の腰にまですべり落としていって、しっかりと抑えた。
さすがに息が辛くなってきて、一度口を離してそっと彼を見た。
彼も息が上がっていて言葉が上がらないらしい。
呼吸をしようと小さく開いた口元から赤い舌が覗いて、誘っているように小さく動く。
今にも泣きそうな苦しそうな表情でこちらを見た。
なんて、表情なのだろう。
腹の底から何か衝動が沸き起こってきて、本能のようにまた強く口を吸ってしまった。
もしかして、陛下も、こういう感じであったのだろうか。
くぐもったあえぎ声を感じながら、何度も何度も舐め回した。
「陛下は、日ごろから、あのような」
気になっていた事を聞いてみた。
息をするのも精一杯である彼はゆるく首を振った。
とすると、今日のことは突然であったわけだ。
理由は分からないが、陛下の単なる気まぐれだったのだろうか。
息があがった彼の耳朶に口をつけて、ゆっくりと首筋へ落としていった。
大分力が無くなってきたが、それでも尚逃げようとする身体を今度はそっと撫でていった。
心が拒否をしているのは伝わってきたが、それに反して身体は少しずつおとなしく反応を返してくるようになった。抵抗する力が弱々しい。
「もう」
止めてくれと、言いたかったのだろうか。
唇を首筋から胸へと落としていった。

   

   

「失礼致します。丞相はこちらにいらっしゃいますか」

        

  

先程、斥候からの報告が上がってきた。

敵陣はまだ思ったより遠く、お互いの斥候隊が辛うじて触れ合うかどうかの距離である。
もう少し軍を進めるべきか、それともここに腰を落ち着けるべきか。
自分であればどうするだろうと書簡に目を通したまま、幕舎の入り口をくぐった。
「失礼致します。丞相はこちらにいらっしゃいますか?」
丞相であれば、どういった陣を展開するであろうか。
そう考えながら書簡から顔を上げると、既に趙雲殿が先にいた。
あ、お話の最中でしたか、と非礼を詫びようと口を開きかけて、何か違うなと思った。
二人の様子が何か尋常では無い気がした。
丞相はこちらを見ずにうつむいているが、どこか具合でも悪そうな、熱っぽい雰囲気であった。
対して趙雲殿は、こちらを黙って見てきた。何を言うわけでもないのだが、その双眸が何故か威嚇している獣のような荒々しさがあり、責められている訳では無いのに思わずひるんでしまった。
そして、二人の距離が妙に近い。
自分も童子という訳では無いので、どことなく察してはいるのだが、いかんせん状況が状況であって、信じたくないという本能が働くのも無理は無い気がした。
だが、趙雲殿が丞相の襟を無造作に正してから無言で幕舎を出て行く様を見て、さすがに嫌なものを見てしまったと確信した。
黙ってうつむいたままの丞相と自分だけが残された。
外で響く歩哨たちの喧騒が妙に近くに聞こえた。
気まずいにも程がある。
さて、どうするべきか。
ここは出直すしかないと思い、言葉を選びかけた時、丞相の身体が大きく傾いだ。
反射的に駆け寄りその身体を支えて、思わずその熱さに驚いた。
ゆっくりと地面にしゃがませてから額に手をやった。本当に熱でもあるのではないだろうかと思ったが、そこまででは無かったので安堵した。
丞相はしゃがんでうつむいたまま沈黙していた。
このまま放っておいて大丈夫だろうか。それとも、自分がここにいるほうが邪魔であろうか。
先程の光景に何故と疑問が多く浮かび上がるのを今は退けた。
聞くに聞けない以上、今は何を思っても全て推測で終わってしまう。こんなこと、考えたくはない。
「丞相」
声をかけて、その反応で立ち去るか、人を呼ぶか決めようと思った。
自分の呼びかけにこちらを向いたその表情を見て、ひやりとした。
常日頃、この人は蜀漢の軍事内政最高責任者であり、その姿はまさに龍の如く、威風堂々としていた。
上背が大きいこともあり、他の文官と比べても迫力があったし、何よりその良く通る声は威厳に満ちていた。
自分の師匠でもあり上役でもあるこの人は、常に雲の上の人であったのだ。
それが今は、僅かなことにも怯える童子のようであった。
本人の真意は分からないが、どうか見捨てないで欲しいと訴える童子特有の双眸であり、あまりにもか弱く見えた。
そして、それは常との差があまりにも大きすぎて、正直こちらの頭が混乱するほどであった。
これは、一体誰なのかと。
だが、どこかで、この人はこういった表情もするのだと知っていたような気もする。
どれというわけでもないのだが、日ごろ、考え事の最中に見せる眉をひそめた瞬間であったり、嘆息しながら後れ毛を撫で付けるその仕草であったり、そういった小さな瞬間瞬間を見て、どことなく想像出来る気がしていた。
そしてあろう事か、自分は目の前のこの人に対してそのような官能的な思いを抱いていたのかとぼんやりと悟った。
動けずにいる様子を見ていて、思わぬことを考え付いてしまった。
このまま、体調が優れない人にするように、処置をするということ。
想像するだけで眩暈がしそうであったが、恐らくそうした方がこの人にとっても楽であろうし、自分ではさせたくないし、何よりどんなに辛くても自分では頼めない人であろうから、と様々な理由を取ってつけて自分を納得させた。
「丞相、失礼致します」
勤めて冷静に、事務的に声を掛けた。
一瞬、何をするのだろうと見ていたが、こちらが背後に回って抱きすくめると怯えて身体に力が入ったのが良く分かった。
「少し、落ち着かれて下さい。すぐに、済みますから」
こんな状況でそんな事を言われても、というのは分かっていたが、そう言うしか無かった。
出来るだけ早く終わるように、事務的に処置しようと思った。
もう一度、失礼しますと声を掛けてから、素早く帯を解いた。自分の気持ちが変わらないうちに済ませたかった。懐に手を差し入れて、そのまま下にずらして一気に裾を捌いた。
緊張で更に身体が強張るのが分かる。すぐに、終わらせますからと思わず囁いた。
内に纏っている着衣の下へ手を滑らせた。そのままゆっくりと撫で付ける。
小さく身体が震える。息も僅かに震えだした。
更に撫でて、親指で少し強く押してみたり、人差し指で擦ったりして高ぶらせようと手を尽くした。
反射的に暴れだそうとする身体を片腕で抱き込んで抑える。細い腰だった。
身体が大きく震えだした。頭をこちらの肩に押し付けてきて手はこちらの袖を強く掴んだ。
震える息から、小さく漏らす声に変わっていった。思わず表情を見たい衝動に駆られたが、今見てしまうと全てに抑えが利かなくなる気がして、何とか見ないように努力した。見たら、終わりだと思った。
太股が震えた。そのまま一気に終わらせた。
くぐもった声をひとつ出して、身体も小さく震えたままにしていたが、ふと力が抜けたのか、一気に身体が重くなった。
息はまだ荒いが、大分落ち着いたようだ。
傷の出血を抑える為に常備していた布で相手の身体を拭いてから、自分の手も拭った。
まだ顔を見ることが出来ずに、自分の袖で顔の汗を拭ってやった。
手でそっと相手の目元を覆った。
「少し、落ち着かれるまで、こうやってお休み下さいませ」
大分平時の呼吸に戻ったこの人は、本当にそのまま眠ってしまいそうであった。
素早く裾や胸元を直した。これで万が一誰か人が来ても、なんらかしらの言い訳はたつ。帯は後で自分で直してもらおう。
それにしても。
自分のやった行為があまりにも背徳的過ぎて、まだ一種の痺れが身体の中に残っていた。
手を外して見遣ると、実際に気を失っているのか、眠っているのか、その表情は安らかであった。
軽く頬を叩いてみたが、反応する気配は無かった。
思わずそっと、目蓋に口を落とした。
自分も酷く緊張していたらしく、やっと気が抜けたと同時に何故か涙が一筋落ちてきた。

  

    

   

     
おわり

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