top of page

ひとでなし

孔明がいくつかの書簡を抱えながら寝室に入ってきた。今日は、状況報告を兼ねた同衾の日であった。
羽織っていた袍を落としてから寝台へと上がってきた。書簡を広げて早速話し始める。世間話もせずに報告を始める様は実に彼らしかった。
「桟道工事の件ですが・・・」
様々な内容に耳を傾けながら、時々質問をしたり意見を出したりしていたのだが、そのうちに眠気が襲ってきて思わずあくびをもらしてしまった。
それを見た孔明は自分の膝元を示して「来ますか」と聞いてきた。
疲れた日に自分は彼の膝元に潜り込んで身体を預けながら報告を聞いたりする事があった。ただ、背中に彼の温もりを感じながら話を聞いていると、あまりにも心地良過ぎてそのまま寝てしまう事もあった。孔明には済まないと思いつつ、あのまどろみの甘さには勝てないのだった。
「・・・ああ」
そう答えて孔明の膝元に寄ろうとして何かが引っかかった。
「・・・そなた、阿斗の所にいたのか」
「はい。書物を読んでいました」
「・・・」
そうだ。匂いだった。彼に近づいた時、覚えのある匂いがしたのだ。これは、阿斗が好んで着衣に焚きしめている香だった。
孔明は未だに阿斗に呼ばれて夜、書物を読みに行く。もう、そんな歳でもあるまいに。
「今日は、逆にする」
そう言って孔明を後ろから抱きすくめた。
「と、殿・・・」
「こうしていると、私が安心するのだ」
「・・・左様ですか」
嘘だ。彼を包むように抱きしめて、自分の香で阿斗の匂いを消してしまいたかったのだ。思わず抱きしめた腕に力が入ってしまい、孔明が訝しむようにこちらを覗いてきた。
「・・・どうか、されましたか」
好きだ、と言えたなら、どれほど楽であろうか。
初めて見た時から、心を奪われた。
振り返って笑ったそなたに、心を奪われた。
その時の事を思い出して、知らないうちに溜息が漏れていた。
孔明が心配そうな顔でこちらを見つめた。
「・・・どうやらお疲れのご様子ですね。報告はまたに致しましょう」
そう言った孔明の首筋に顔を埋めた。鼻をこすりつけるようにして彼の匂いを嗅ぐ。
「殿・・・」
抱きしめながら強引に横にさせた。自分に押し倒されるようにして寝台に身体を預けた彼は子供を寝かしつけるような声で囁いた。
「もう、今日は寝ましょう・・・」
それには答えず、孔明をこちらに向かせてまたその首元に顔を寄せた。どさくさに紛れて、足を絡ませる。これだけの事で、ひどく胸が騒ぐ。
「孔明」
このまま、そなたの口を奪って抱いてしまいたい。
身じろぎをするふうを装って、膝で孔明の内腿を撫で上げた。反射的に彼が身体をよじろうとしたので、逃げられないように抱きしめる力を更に強めた。
「と、殿・・・」
落ち着かなそうな表情で狼狽える彼は可愛らしかった。恐らく彼は、こちらが故意でそのようにしているなんて思ってもいないのだろう。
顔を上げると、困って眉根を寄せた表情がごく近くにあった。何かを言おうとして、しかし止めたその口元からはちらりと赤い舌がのぞいた。それがひどくこちらを刺激して、衝動的にその唇を吸ってしまった。驚きに固まった彼を寝台に押さえつけるようにして、更に啄む。
「・・・ん・・・っ」
鼻にかかったような声が唇ごしに聞こえた。それが妙に甘く聞こえてしまい、それだけでこちらの意識が一瞬飛びそうになった。
このままいくと、本当に抱いてしまう。
引き剥がすように顔を離した。
「・・・すまぬ」
「・・・」
「・・・人恋しかったのだ」
「・・・そうですか」
「怒って、いるか・・・」
「いえ・・・。秋の夜長は人を寂しくさせると言いますから・・・」
戸惑いながらも、孔明はそう優しく囁いた。
自分こそ、いい歳をして、一体何をしているのか。心の中では彼に対するこんな邪な気持ちが渦まいているのだ。
「・・・気休めになるのかさえ分かりませんが・・・、どうぞこのままお眠り下さい」
そう言って孔明はこちらの額から頭にかけてゆっくりと優しく撫でてくれた。何度も何度も。恐らく自分が眠りにつくまでそうしているつもりなのだろう。
「・・・すまぬな」
「いえ」
「孔明・・・」
「・・・はい」
「ありがとう」
「・・・勿体ないお言葉です」
好きだ、と言ってしまいたい。
「おやすみ」
「おやすみなさいませ・・・」

  

  

この純粋な献身に対して、自分が彼に抱いているこの感情は何だ。
自分は、彼に何をしたいのか。
本当なら、誰にも会わせたくないと思う瞬間がある。
私だけを見ていて欲しい。私だけに微笑んで欲しい。
この指も、この髪も、この吐息を漏らす唇も、全て私の為だけにあって欲しかった。
そう思うと、特に阿斗には会わせたくなかった。
孔明は阿斗には殊更甘い。その善意に甘える息子に決して怒らない彼を見ていて、正直いたたまれなくなるのだ。
いや。
これは紛れもない、嫉妬だった。
無条件にその優しさを降り注がれる彼に対する、妬ましさだった。
この自分は、ひとりの臣下を挟んで息子でさえ嫉んでいるのだった。
どれだけ、醜いのだろうか。
どれだけ、父として、人として、道から外れれば気が済むのだろうか。

  

 

優しく頭を撫でてくれる、その温もりが心に突き刺さる。

 

 

 

それでも、この気持ちを消す事が出来ない。忘れる事が出来ない。
ああ。
大徳なんて言われているが、自分なんて結局のところ。

 

 

救いようのない。
単なる。


 

    

 

ひとでなし。

 

 

 

 

おわり
 

 

bottom of page