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雨に煙る

劉備がこちらの腕を掴もうとして指を滑らせた。
汗で滑ったのか、もはや掴む力すらないのか、果てはその両方かなど知る由もないが確かにお互い気力の限界に近いことは間違いなかった。
何度果てたか数えきれない。既に劉備は喘ぐ声すら持たずただただ荒い息を繰り返すだけである。
劉備を抱くようになってまだ日は深くないが、毎回極力声を抑えてひたすら耐えている様は女とは違って新鮮だった。時々微かに漏れてくる吐息に嗜虐心が煽られる。
そもそも劉備を抱こうと思ったきっかけは些細なものではあったが、明確な目的はあった。

  

  

野犬呂布を討伐した後、劉備を許昌へ連れてくる決心をしたのは他でもない、自分であった。どういう人物かゆっくりと見てみたかったこともあるが、出来ることならその連れ共々配下にしたかったのだ。
しばらくすると同姓という理由から、味方をひとりでも増やしたい魂胆の献帝が劉備を「劉皇叔」などと呼び出してあからさまに囲い始めた。
このままいくと不穏な空気が生まれかねないと察した為に、幾人かに劉備やその配下達にさぐりを入れさせていた。劉備に謀叛の気配はあるか。配下達は金や地位でこちらに翻る可能性はあるか。
ただ、誰からも益のある情報は得られなかった。勿論、劉備に特段怪しい気配はなく、配下達もやんわりと翻意を否定した、という情報は得ることが出来た。中には「自分と話している際に外で雷が鳴ったのですが、劉備めは雷ごときを本気で怖がっておりました。あれは将軍が心配される価値もない人物です」とさえ言ったものもいた。
しかし、自分の中では判別がつきかねていた。
確かに、集めた情報からは「今のところ怪しい様子はない」という暫定の結論は導き出せたが、「危険ではない」という結論へ導く決定的な根拠がないのだ。「今のところ怪しい様子はないが、危険ではある」という可能性も充分にある。
また、劉備軍の中でも特に配下に引き入れたいと常々思っている関羽が全く靡かないことにも少々苛立を覚えてはいた。それでこそ、という気がしないでもないが、なぜこんな地位も名誉も名声も軍力も実績もない任侠くずれの男にしがみつくのか。こちらへ来た方が明らかに名を挙げる機会も活躍の場もあろうに。これまた解せず、自分が劉備に対して警戒心を解くことが出来ない理由のひとつであった。

 

  

この男のなにが、そこまでさせるのか。

    

   

そんなある夜、腹の中をさぐる目的で私邸に劉備を招き一献傾けていた時にふと思いついたのだ。
この男を抱いたら、一体どんな態度を返してくるだろう、と。
どういうきっかけでそこに辿り着いたのかは覚えがないが、もしかしたら酒を飲んで目尻や唇を紅くした劉備と以前抱いたことがある枕人の横顔が似ていたとか、あったとしてもそんな些細なとこだろう。自分に女より男を好む癖はないが、時々女の体力が尽きてしまった際などに男を抱くことがあるのだ。
酒も幾分か過ごし、劉備に同衾を提案した。特に断る理由もない為に諾とした劉備を寝台へ連れて行き、そこで関羽の話題を切り口に話を始めた。

   

   

「それにしても、配下である関羽は誠に勇猛果敢、忠誠心溢れる名臣であるな」
「勿体ないお言葉です。将軍がそのようにお褒め下さったと聞けば、あれも喜ぶでしょう」
「余もあのような忠臣が欲しいものよ・・・。それこそ、どんな手を使ってでも、な」
「・・・将軍の周りにも数えきれない忠臣がいらっしゃるではありませんか」
「しかし、いくらこちらに誘っても、翻意の欠片も見せないような、そんな男が良いのだ。そんな男だからこそ、こちらに欲しいのだ。・・・分かるか」
「・・・」
「どうしても靡かない、というのであればいっそ、亡き者にしてしまいたい程であるが・・・」
「しょ、将軍。お待ち下さい。雲長は我が義兄弟。例え靡きたくても靡けないのです。義兄弟の契りを反故にすれば死ぬまで不忠義者と万人から指をさされましょう。それだけは、武人として出来ないことなのです。ですので、どうか、どうかあれの心中お察し下さいませぬか・・・」
「こちらとて、いくら褒めてもおだてても贈答をしても一向に振り向かれず、笑い者となっておろう。この面目、どうしてくれよう・・・」
「あれは秀でた学もなく、返答がなってないので、将軍のお顔を汚してしまったのかも知れません。どうか、そのお怒りをお納め下さいませぬか。私に出来ることは何でも致しますゆえ」
目的の返答を導き出したところで、劉備の顎に手を添えた。

     

   

「その約束、しかと果たされよ」

   

  


言葉の意味が分からなかったのか顔をしかめた劉備だったが、こちらが袍を乱暴に脱がすとさすがに状況を悟ったのか、素直に驚いてみせた。思わずこちらの腕を掴んでくる。
「・・・その、お待ち下さい」
「お主が出来ることであれば何でもするのだろう。男に二言は許されぬぞ」
「・・・」
その言葉に黙るしかないのか、口答えはしなくなったがどうにも身体が硬かった。
仕方がないので背を向かせて座らせ、胸元や横腹を探りながら首筋に口を寄せた。更に手を下に滑らせてそのものに触れてみせた。
「・・・将軍っ・・・」
はじめは態度が硬かった劉備だが、執拗にそれを扱っていると次第に耐えきれなくなってきたのか、熱い吐息を漏らし始めた。終いにはこちらの肩へ頭を擦りつけるようにして身体をよじった。
「・・・んっ。・・・は、あ・・・」
そのまま震えながら果てた劉備は、ひとつ微かな吐息を漏らした。
力が抜けてぐったりしている劉備を寝台に押さえつけて、両膝を抱える。その体勢に羞恥心を感じたのか、思わず顔を背ける。
「皇叔。こちらを」
その言葉に、ゆっくりと顔をこちらへ向けるがまだ視線は横を向いていた。
「こちらを」
念を押すと、ゆっくりと瞬きをした後、諦めたような目を向けてきた。
名前だけとはいえ、皇帝の親族をこのように組敷いているのは小気味が良かった。
先程汚れた指を入れてみると、その異物感に思わず身体が逃げようとしたので片手で腰を押さえた。劉備は気持ち悪さを耐える為か片方の手で寝台の端を強く握り、もう片方は腰を押さえているこちらの腕を掴んできた。
広げるようにゆっくり動かすと、聞こえるか否かの微かな声で呟いた。
「ああ・・・、いやだ・・・」
指を増やして中を探るように動かす。こちらの腕を掴んでいる指が食い込んできた。
しばらく慣らすようにそうした後、指を抜いた。次に予想される行動に、劉備の身体が硬くなる。それを見て、思わず笑ってしまった。
「皇叔。そのように硬くなっては、自身が辛いだけぞ」
緊張を紛らわすように軽く頬を叩いてやったが、やはり力は抜けなかった。仕方なく片膝を降ろし、口づけた。顎を掴んで、閉じたままの唇を開けさせて舌を絡める。はじめは逃げていた劉備も、次第にこちらの舌に絡まってくるようになった。飲み込めなくなった唾が頬を濡らし、鼻にかかったような声が聞こえてきた頃、口を離してからそのまま自身を一気に入れた。
「・・・っ」
声にならないような悲鳴を漏らし、掴んでいる指が爪を立ててきた。痛みの為か、それとも疲れの為か、僅かに指が震えていた。
ゆっくりと腰を動かすと、その度に涙を流した。
恐らく、男に抱かれるのは初めてなのだろう。思わず息が詰まるほど、中はきつかった。
その夜は、こちらが満足するまで劉備を抱いた。何度か気を失いかけたが、その度に軽く頬を打って目を覚まさせた。最初の手淫以降、ついに劉備は果てることが出来なかった。恐らく痛いだけであったのだろう。
終わってから劉備を寝台に寝かせて、自分もその隣に横たわったとき、安堵感からなのかこちらに抱きついてきた。痛みと疲れで意識が定かではなかったはずであるから、無意識的にそうしてきたのだろう。全てが終わった後であったし、その纏わりつく感じが鬱陶しくも思えたが、無防備な顔でこちらにすがりながら寝息を立てはじめた劉備を見て、ほんの少しだけ愛おしさに似た感情がわき上がってきた。ただ、それはすぐに忘れるようにした。

   

   

それからも時々気が向いた時や、女では満足がいかない時に劉備を抱いた。毎回こちらの体力が果てるまで抱いた。しばらくすると劉備も慣れてきたのか、抱いている際に自分でも果てるようになってきた。初めてそうなった時に、劉備は驚きと羞恥で顔を赤くした。そして終わると毎回こちらに抱きついてきた。これは癖なのだろうか。

そうなっても、日頃の態度は変わらないままだった。
宴会に誘っても嫌な顔ひとつしなかった。
その頃から、可能な限り座る時は常に隣に座らせ、車を使う時は同じ車に乗らせ、馬で出掛けるとくは轡を並べさせた。そうすることで、夜私邸に呼んでも怪しまれないようになる。そして当然一番の目的は監視だった。
あれからも特に劉備に不穏な気配はないようだが、警戒しておくに越したことはない。いくら漢室が落ち目だとはいえ、皇帝の権威がなくなった訳ではない。今劉備と献帝に組まれれば面倒なことになる。

   

    

その夜もお互いの気力が果てるまで抱いた。外は天がひっくり返ったような大雨で煩かったが、疲れていた自分たちは音も気にせずそのまま眠ってしまった。
しばらくして目を覚ますと、隣にいる劉備はまだまどろみの中だった。
少しの間その横顔を眺めていた。
この男は、やはり何もないのだろうか。
呂布の力を頼り、その男に裏切られて今度は自分を頼ってきたこの男。その前も寄る大樹を次々と乗り換えては今日まで生き延びてきたこの男は、単なる馬鹿か、それとも最後まで生き残るしぶとさを持つ、なにかなのか。
抱いている時の劉備は、ひたすら耐えるような様子でいつも大人しく抱かれた。こちらの要求にも、戸惑いは見せこそするが、義兄弟の身の安全もある為かいつも素直に応じた。
普段の劉備は以前と変わらず、自分と一緒にいない時は義兄弟達との歓談を楽しみ、時には遠乗りに出かけ、内庭で昼寝をし、日々のんびりと過ごしていた。
何も、ないように見える。何も警戒する必要がないように見える。
しかし、どうしても最後、何かが腑に落ちないのだった。自分でもこれをどのように説明していいか分からない。そういう漠然としたものだった。
そんなことを考えながら横顔を眺めていると、ふとその睫毛が長いことに気が付いた。気まぐれにその睫毛を指でなぞっていると、劉備が目を覚ました。
「・・・将軍・・・。先に起きていらっしゃいましたか・・・」
あくびをしながら目をこすった。
「・・・外はまだすごい雨ですね・・・」
劉備がそう言った時に、外が僅かに光った。それから唐突に雷音が響いた。
この様子ではまだ雨は止みそうにない。
そう思いながら今日の執務はどうするか、考えを巡らそうとして何かがひっかかった。なんだろうか。
あくびを噛み殺そうとしている劉備を見て、ある言葉が思い出された。

  

  

「自分と話している際に外で雷が鳴ったのですが、劉備めは雷ごときを本気で怖がっておりました。あれは将軍が心配される価値もない人物です」

  

  

その瞬間、自分の中で劉備に対する警戒心が一気に上がったのを感じた。
「・・・お主、寝起き際は雷を怖がらぬようだな」
劉備の目が一瞬素地を見せたように思えた。しかしすぐにいつもの様子に戻った。そう見えてしまったのが自分の勘違いかと訝ってしまうほどの、僅かな変化だった。
「・・・違います。今は、将軍が傍にいて下さいますから・・・」
それを聞いて思わず怒りがこみ上げた。乱暴にその顎を掴んでこちらを向かせる。
「しらじらしい。いつまで余をたばかるつもりだ」
「・・・将軍、どうしてお怒りになるのです・・・」
そらとぼけた劉備を見て、これ以上話しても無駄だと思い詰問を止めた。

  

  

恐らく、この男は自分が今まで見てきたどの男よりもしたたかだ。

  

  

直感的にそう思った。
そうすると、この男の日々の行動。閨での態度。全てが疑わしく思えた。一体どこまでが本当でどこまでが演技なのか。
少しだけでもこの男に愛おしさに似たものを感じた自分に腹が立った。
寝台から降りて、傍に落ちていた袍を乱暴に羽織り部屋を出た自分を、その日の劉備は追ってこなかった。

  

  

そうしてしばらく経った、月が美しい夜。
程昱が顔を青くして持ってきた書簡があった。
それは、自分を暗殺する為の連盟書。密詔を受けて董承、王服、种輯らが主だって動いていたようだった。

 

 

その中に、劉備の名前もあった。

 

  

「劉備は既に配下共々姿を消しています。追手は出しておりますが・・・」
「・・・いや、無駄だろう。・・・逃げ足だけは早い男だ」
そう言って程昱を下がらせた。

ぼんやりとその連盟書を眺めた。
署名と共にそれぞれの血判が押してあった。
劉備のそれを見て、やはり自分の勘は正しかったのだと痛感した。

 

 

あの男は、本当にしたたかだ。

  

  
どこまでも。
恐らく自分が考えている以上に、想像出来る以上に、したたかだ。
もしかしたら、いつか、自分と並び立つ日が来るかも知れない。

 

 

そこまで考えて「そんなはずはないか」と、自分で自分の考えを嗤った。

 

 

 

   
おわり

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